井上元貞について
井上元貞(いのうえ もとさだ)は、戦国時代の武将であり、毛利氏の家臣として知られています。
彼は安芸井上氏の一員であり、この氏は清和源氏の流れを汲む信濃源氏井上氏の支流にあたります。
元貞は、毛利元就の家臣として活躍し、彼の指導の下で多くの戦闘に参加しました。
彼の家系は、安芸国において重要な役割を果たしており、特に毛利氏の勢力拡大に寄与しました。
元貞の子孫もまた、毛利氏に仕え続け、家族の名声を高めていきました。
井上元貞の具体的な業績や戦歴については、詳細な記録が残っていない部分もありますが、彼の存在は毛利家の歴史において重要な位置を占めています。
元貞は、永正14年(1517年)10月22日の有田中井手の戦いで毛利元就に従って出陣し、戦功を挙げました。
この戦いでは、彼の家臣が敵の首を討ち取り、元貞自身も戦功を認められ、毛利氏当主の毛利幸松丸から感状を与えられています。
また、永正15年(1518年)には備後国世羅郡赤屋に出陣し、激しい合戦を繰り広げました。
この戦いでも元貞は功績を上げ、再び感状を受け取っています。
大永3年(1523年)には、毛利氏の重臣たちが元就に家督相続を要請する際、元貞はその連署状に名を連ねています。
享禄2年(1529年)には「兵庫助」の官途名を与えられ、享禄3年(1530年)には安芸国山縣での合戦で負傷しつつも奮戦し、再度感状を受けました。
元貞の没年は不明ですが、彼の死後は子の元継が跡を継いでいます。
井上元貞
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